時々このブログコーナーで、私(店主の妻)の個人的な趣味について書いております。
その度に温かく読了いただいている皆さま、本当にありがとうございます。
2023年初め、しもやけ体質からの脱却を図るべく走ることに目覚めまして、
(参照ブログ ⇒ 「腑に落ちるゴールがあればやり通せる!」 )
そこから1年と10か月。ついに夢のフルマラソンにチャレンジしてしまいました!😝
自分で言うのもなんですが、42.195㎞をひたすら走り続けるなんて尋常ではないですよね…
でもこれをやってのける人たちがたくさんいるんです。速さの違いはあれ、こんな距離を何時間も走り続けることができるのか…
しもやけ云々を通り越し、ランナーになりたい… 自分もフルマラソンを走れるようになりたい…。
ようやく口に出せたのは今年5月、2度目のハーフマラソンに参加した直後でした。
(参照ブログ ⇒「人生2度目のハーフマラソン in 福島」)
走ることってシンプルに前向きです。走っている間には仕事のことは一切浮かんできません。景色が流れていくのが心地よく、自分が踏んだ距離を腕時計で確認するたびに、頑張ってる!と自分を褒めることの繰り返し。
「走っている時に何を考えてるの?」と最近聞かれたので、よくよく考えたら、膝や腰に負担のかからない正しいランニングフォームで走っているか… だけでした。走っている間には雑念が消えているようです。写経とかと同じ効果があるのかな…。
それはさておき、初めてのフルマラソンにチャレンジしようと決めて、申し込んだのが仙台から名取市、岩沼市を駆け抜ける『東北・みやぎ復興マラソン』でした。開催は11月初め。練習に5か月は時間があります。お店が年末の繁忙期に入る前なので、タイミング的にも申し分ありません。
この大会のコースの約7割が2011年の震災時に津波の被害を受けた海沿いエリアです。
あれから13年。大会名に冠せられている『復興』の様子をこの目で見て走って感じてみたいと思いました。
震災の日、千葉県で働いていた私の職場でも、経験したことがないような大きな揺れに全員が外に飛び出しました。その後まもなく現実とは思えないような津波の映像をテレビで目にしました。私が知っている宮城県の海沿いの景色ではありませんでした。
高校・大学時代を過ごした仙台。私に何かできることはないかと思って、その2か月後の大型連休に、同じく関東に住んでいた大学時代の友人と仙台に向かい、泥かきボランティアに参加しました。その時に活動した宮城野区岡田地区は、コース15㎞地点のすぐそば。
2017年に帰仙しアインベルクを開店した後は、この店を頑張って続けることが被災地仙台の支援につながると信じ続けていますが、なんとなく辛くなりそうで海沿いの方に足を向ける気にはなれないまま…。
そんな中で先日、小4の娘が学校行事で訪れた「震災遺構仙台市立荒浜小学校」はちょうどコース20㎞地点。
あの日津波にのまれた仙台空港。まさかここまで自分の足で走って来ることがあるなんて…。コース35㎞地点、ランナーたちの上空を旅客機が優雅に飛んでいきます。
私にとって初めてのフルマラソンということ以上に特別な意味を持ったこのレース。
前日の雨空と打って変わった超秋晴れの朝です。最高のマラソン日和!
店主と娘も早起きしてスタート地点で応援してくれます。約10,000人ものランナーの一人としてスタートを切りました。
私はずいぶん後ろの方からのスタートでしたが、前にも後ろにも走る人の群れ。すごい数です。
10㎞、20㎞、30㎞… 自分一人だったら走り続けられなかったかもしれないけど、「だってみんな走っているから」と走る群衆の流れに乗っていた感じです。
傍から見たらヨレヨレランだったと思いますが、無事に私もゴールにたどり着くことができました。
初マラソンの気になるタイムですが(速報値):
グロス(号砲~ゴール) 5時間06分45秒
ネット(スタート地点通過~ゴール)4時間59分02秒
ネットタイムで5時間切り、という一番の目標をなんとか達成でき大満足。かつエイド(補給ポイント)以外は歩かないで走るという次点目標もクリアできました。
他のレースと比較することはできませんが、給水箇所が2~3㎞ごとに設置してあり、給食も地元宮城を始め近県の珍しい食べ物が供されていて、正直全部食べることができないほど充実していました。ランナー支援の体制が整っていて少し驚くほどでした。
過去2回のハーフマラソンの時も感じましたが、やはり温かい沿道の声援が力になりました。エイドで立ち寄るたびにスタッフの皆さんに力強い励ましの声をかけていただき、まだまだ走れると力が湧きました。
完走後の感涙はなかったのですが、今でもそうした見ず知らずの方々の声や笑顔を思い出すたびに目頭が熱くなってしまいます。自分にとってこんな経験はマラソンレース以外には得られないのではないでしょうか。
今回のレース、私の友人も出走していました。先に触れた震災後の泥かきボランティアを一緒に行った大学の同級生。彼女こそ私に走ることへのインスピレーションを与えてくれた尊敬すべき女性です。
私よりも1時間以上も早くゴールし、すっかり着替えをして「お疲れ~」とフィニッシュ地点で待っていてくれました。あー、私もそれくらい走れるようになりたいなー!
その友人は昨年の大会にも参加をしていました。初フルチャレンジの私にいろいろとアドバイスをしてくれたことも大いに助けになりました。
レース後、コースについて話していた時、
「東部復興道路(沿岸エリアのかさ上げ道路)あたりは、きれいに整備されているなーと去年走った時思ったけど、今年はその周りに施設とか建物が増えてきたなって思ったよ」と彼女。
そうか、毎年走っていれば被災エリアの復興の様子を直に知ることができる。これって、ささやかだけど私個人ができる復興支援になるのでは…。
私が見て走って感じたことを誰かに話すことで、被災地復興への関心がバトンのようにつながっていく。震災が忘れ去られることなく語られていく…。
来年も絶対に走ろう、その後も可能な限りこの大会には出たい。
と私が言うと、彼女は「私もそのつもりだよ」って。かっこいいなぁ。
このマラソン大会の意義はここにあるのかもしれません。
走る人も応援する人も、震災からの復興を直に感じて、あの時の記憶を忘れずに、つないでいく。
走る人が増えて感謝と歓喜の言葉がより多く飛び交う沿岸部は、きっと明るい希望に包まれると思います。
ん、ちょっと楽観的すぎる??
走っているとなんだかポジティブ思考になるんですよね。苦しくてもただただ前に進むのみ。進んだ分だけ自分を認めてあげられる無条件の肯定感。
ね、走るっていい感じじゃないですか?気持ちいいですよ!
まずは歩くことからでもいいかもしれない。まずは一歩、最初の一歩を踏み出して、次の一歩、その次の一歩と繰り返していけば、とんでもないところにたどり着けそうです。
さぁ、皆さん、一緒に走りましょう!!
そしてできれば『東北・みやぎ復興マラソン』を一緒に走りましょう!!
末筆になりましたが、この大いなるチャレンジは私一人では絶対に成し遂げられませんでした。
前述の友人を始め、ランニングについてたくさんのアドバイスをくださった方々。
応援の言葉をかけてくださったアインベルクの心温かなお客さま方、スタッフの皆さん。
体調管理を支援してくださった漢方薬局や整体師の方々。
たくさんの方々に支えていただいて42.195㎞を走りきることができました。
そして、いつもながら前のめりな私のわがままに付き合ってくれる店主と娘ちゃん。
本当にありがとう。50歳のバケットリスト☑ 私は幸せ者です♡
これからお店は年末商戦の繁忙期。一年のラストスパート、頑張れそうです!