先週初め、店主の弟さんご夫婦が店に来てくれました。
一つ下の弟さんはとっても器用な方で、奥さまもまた手造りが得意なクラフトマンシップに溢れるカップルです。
実家に帰って来る際や私たちの店に来てくれる時には、手作りのお料理やお菓子をよく持ってきてくれます。
私たちはひたすらありがたく美味しくいただく係。
お二人に影響を受けて、私もようやく重い腰を上げてちょこちょこお菓子を作ったりするようになりました。
さて、今回手土産に持ってきてくれたのが、アメリカの映画に出てくるような大きなタッパーいっぱいにはいった手作りティラミスです。奥さまが作ったのかと思いきや、弟さんの方。
なんども試行錯誤を重ねてようやく理想のレシピにたどり着いたそうです。
「これで、完成形かな」
と差し出されたティラミスに、店主の目の色が変わっています。
知らなかったけど、店主はティラミスに目がないのですって!
(20年以上一緒にいてもまだまだ知らないことがあります…)
そんなことも知らずに、忙しくてなかなかタッパーを開けるチャンスのない店主を出し抜き、私がファーストスクープをいただいたりして…😅
それを見つけた店主は「これはオレの大好物なんだぞ~」という無言の抗議の目。すみません…。
仕切り直して、私は小さなカップにお裾分けをいただき、店主は豪快にタッパーから直食べをしつつ、昼ご飯のデザートに絶品ティラミスを堪能しました。
甘い物を食べると本当に幸せです。ふかふかティラミスのベッドに横たわりたい…
そういえば…と、「あなたも読んだらいいよ」と最近シェアしてくれた有名パティシエ・鎧塚俊彦さんの記事を思い出しました。
「クレームで悩む弟子に話していること」というタイトルだったので、ご指摘対応の話かと思い目を通すと、鎧塚さんの仕事に対する思いが書かれています。以下抜粋要約 ー
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パティシエはそもそも世の中に絶対必要なものではないが、そこに(自分が)命をかけていることに面白さを感じている。
警察官や医者のもとには「命を助けてください」という人、銀行や弁護士のもとには「お金がなくて困っています」と顔色を変えてやってくる人がいるが、パティシエになって35年間、そういうお客様に遭遇したことはない。
「生きるか死ぬか」ですがられる仕事と比べれば、まだ幸せなことだとお叱りやクレームで悩んでいる弟子にはよく話している。
お店に来る人はお菓子で幸せになりたい人。お金を借りにくるわけでもなければ命を助けてと言われるわけでもない。幸せになりに来る人に幸せになって帰ってもらう、こんな素敵な仕事はない。
絶対必要でないところに文化が生まれる。なくても生きていけるかもしれないけどないと味気ないものになる。それこそがパティシエの仕事に幸せを感じるポイントです。
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記事を読んで、店主の気持ちを代弁しているのだな、と思いました。
店主はよく自分が作るものは “嗜好品” だと言います。日々の食卓にならぶものですが、実際にはハムやソーセージがなくても食生活は成り立つし、ましてやスーパーなどでいろいろな種類を手軽に買うことができます。そうすると、アインベルクで店主が手間暇かけて丁寧に作るハムやソーセージは一種の贅沢品です。
それでも店主が手造りにこだわり作り続けるのは、鎧塚さんと同じ気持ちなんだと思います。
このソーセージ一本で誰かが幸せになってくれるかもしれない。
このハムを食べた時の幸福感をまた味わいたい、という方に、同じかそれ以上の幸せなひとときを味わってもらいたい。
アインベルクを味わって「幸せです」と言ってもらえた時の店主の幸福感と達成感はきっと私の想像以上で、そのために人生をかけて日々お肉と向き合っているのだと思います。
時々、職人さんを育てたらいいんじゃない?というお声を聞くことがありますが、店主と同じようなマインドがないと、きっとアインベルクで一緒にハムソーを作るのは難しいと思います。
「幸せになりたいと願う人を幸せにする仕事」は、打算ではできません。
ソーセージを作るのは器用だけど、商売的にはちょっと不器用…。
そんな店主が作るハムやソーセージを食べて幸せを感じた皆さま、どうぞよろしければ、店主に「幸せでした!」と一声投げかけてやってください。
「ありがとうございます!!」と皆さまにお礼を言って奥の工房に引っ込んだ後、ひっそり目頭をぬぐっているはずです。